現代人はみな、情報過多消化不良症なのかも
現代人はみな、情報過多消化不良症なのかも
宇宙人アミとの会話で
先日、気になって中古で購入した2000年に刊行された本「アミ 小さな宇宙人」(エンリケ・バリオス著)。この本は、宇宙人アミと少年ペドゥリート(以下「ペド」という。)とのコンタクト体験が綴られています。
その中の会話で、宇宙船に乗ってアミから様々な情報を知らされるペド。その情報量があまりにも膨大で、今まで生きてきた中での常識とかけ離れていることから、ペドは頭の中が混乱し「とても疲れて眠くなった状態」を、アミは冗談として
「情報過多消化不良症」と言い表しました。
私はこの言葉を読んで、今の私たち現代人に当てはまる言葉だと、強く感じました。
インターネットが私たち一般人でも使えるようになった今。世の中は、情報が氾濫しているといえます。どれが良い情報で、どれが悪い情報なのか。
自分が必要としている情報が、本当にそれが正しいのかもわからなくなるくらいの情報量が溢れています。必要としない情報も目に入ってきますし。
情報って、本当は必要なのかな。デジタルデトックスを促している人もいるくらい、情報に触れない時間、いやもっと長いスパン1日以上とかあってもいいのかも。
この本を読んでいて、もっとシンプルに生きるのもいいのではないかな、と思いました。
今の地球に求めるものは「愛、統一、平和」
ペドが地球人の祖先と言われる男性と会話した中で、男性が地球へのメッセージとして、「愛、統一、平和」の言葉を示しました。
男性は、何度か地球へ行ったことがあるそうで、その地球を「ひどく悲しいところだ」と、表現していました。
人が人を殺し合い、食糧飢饉で人々が死んでいき、捕虜収容所にはたくさんの人が収容されている姿を見て、悲しいところだと感じたそう。
男性が住む星には、争いは無く、人や物への所有もない、平和な世界だそう。それに比べると、今の地球は野蛮人の住む惑星になっているのだと、ペドが感じたように私も感じました。
人が死ぬのは悲しいことではない
本の内容ではありませんが、人の死について聞いた話があります。
過去、明治時代くらいまでは、人の死は今ほど悲しむことではなかったそう。例えば、汽車で人をはねたとしても、線路から遺体をどかしてそのまま何事も無かったかのように、走りだしていたそうです。
それを思うと、人の死がかわいそうなこと、悲しみに浸るものだと意識づけられたのは、テレビなどからではないでしょうか。テレビやラジオ、雑誌、本などの情報を発信するものから、人の死についての意識を変えられてしまったように思います。
人は死ぬと、肉体から魂が抜け、肉体は終了します。でも、抜け出た魂は次の世界線で、再び生きだすそうです。だから、この世は終わったとしても、次の新たな世で生きていることになる。だから、人の死をそこまで悲しむ必要は無い。
まして、死者が恨んで出てくるなんてことも無いそうです。「先祖の祟りが~」とか、聞きますが、それもマスメディアなどによる洗脳なのでしょうね。
なぜ、洗脳してくるのか。それは、そうすることで、そこからビジネスが成り立つ人々がいるからでしょう。
人は死んでも恨んだりしません。それならば、亡くなった人のことでくよくよせずに、自分の今の人生を目いっぱい生きることで、最期は笑って終われるように生きていきましょう!
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