占い鑑定師 - 高橋理恵

まさか!子どもを亡くすなんて!

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まさか!子どもを亡くすなんて!

 

 

私の人生で、「まさか!」の出来事を書いていこうと思います。「まさか!〇〇だなんて!」シリーズです。どうぞ、お楽しみください。

 

 

 

子育てに悩んでいました

今回は、少し重たい話になります。

30歳で結婚した私は、すぐに長男を妊娠。育児休業を一年間取得して、職場復帰。子どもは、母親が務める保育園へ預け、両親と同居していたのもあって、それほど子育てが大変だとは感じていませんでした。

しかし、岡崎警察署から東海警察署へ異動し、そこで長女を妊娠、出産した頃から、私の中で「警察官を辞めたい。」という気持ちが強くなっていました。

そのことを夫に話したのですが、賛成してもらえず、私の心の中でモヤモヤする日々を過ごしていました。

2人の子を育てるのは、私にとって苦痛でしかありませんでした。長男の反抗期、長女の夜泣きと、あの当時の私には心のゆとりなんてありませんでした。

そんな中、望んではいない3人目を妊娠してしまい、さらに心が落ちて行ったのを覚えています。

 

 

夫に対する不満感は半端なかった

どちらかというと、子育てに協力的ではなかった夫です。

そう。長男が小学生になった時、保育園が同じではなかったママさんから、「えっー、旦那さんいたのー!ずっとシングルだと思っていた。」と、言われるくらい、存在感がありませんでした。

当時の私は、毎日洗濯物を干しながら「離婚したい。」と、思っていたくらいです。今思うと、私の理想とする「家庭的な夫」ではなかったからなのでしょう。

そんな夫と縁があったのだから、これもまた、私の人生に必要な体験だったのでしょう。

夫は、3人目の妊娠に喜んでいたようですが、私の心はさらにブルーに。

その後、同居する母親と夫が些細なことからケンカし、それを機に家を出ることにしました。その時、お腹の子は5ヶ月。

私の中の不安感が、倍増していくのを感じながらの引っ越しでした。

 

 

次男を出産、心が暗い私がいました

賃貸マンションに引っ越してから、私の心はふさぎ込んだまま。先の見えない不安感と闘っていました。その気持ちを長男にぶつけていた自分がいました。

「子どもを虐待してしまう。」いけないことだと分かりつつも、止められない自分がいる。そのジレンマと毎日、闘っていました。

その頃の夫は、3交代勤務をしており、3日に1回家に居ないので、夫が家に居ない日が私の休息日に感じていました。

お腹の子は男の子。その次男は、長女と1歳11ケ月違いの年子でした。次男を出産前に、実家で子どもたちと過ごすことになりました。でも、以前の同居していた時とは違い、間借りしている状態。

居心地の悪さから、産後は、すぐにマンションへ戻ろうと思っていました。

2009年3月8日。次男は無事に生まれてきました。

でも、私の中には喜びの感情は無く、これからの子育ての辛さしか考えられませんでした。腰を痛めていたのもあって、産後の世話が大変に感じていました。

病院を退院後、実家で過ごす時間が薄暗く感じ、心も暗闇に包まれていました。そんな私の状態を夫も母親も不安に感じ取っていたのかもしれません。

結局、実家には1ケ月健診が終わるまでいることになり、その間ずーっと暗いままの私がいました。

 

 

まさかのことが

1ケ月健診の前の日のこと。あまり寝つきがよくない次男が、やっと寝てくれたので、そのまま寝かせていました。その日、私の同級生が家にやって来て、他の部屋でしばらく話をしていました。

すると、次男が寝ている部屋から大きな声がしました。でも、すぐに声はしなくなり、様子を見に行くと寝ている次男がうつぶせになっており、抱き起すと顔が真っ青になっていました!

これはどうしたことか!と、頭がパニックになり、狼狽えていると、そこに父親が帰ってきました。そして119番をし救急車を要請。

救急車が到着する前に、休みで出かけていた夫が戻って来て、一緒に救急車に同乗し病院へ救急搬送。救急車内には、4月だったからか、新人救急隊員も乗っており、ベテラン救急隊員が次男の救急措置をしているのを皆で神妙な面持ちで見守っていました。

病院に到着後、次男は救急治療室へ。数時間後、次男は自発呼吸を開始したとのことで、集中治療室へ。しかし、その甲斐もなく1日半後の4月8日明け方。次男は静かに息を引き取りました。

生後1ケ月の命でした。

 

 

次男を亡くして初めて産前産後うつだと気づけた私

次男を亡くしたことで、「死んだら終わりなんだ。」と、私は心の底から生きることに向き合う日々が始まりました。

次男の葬儀後、夫と母親が和解し実家へ戻ることになりました。

私は、次男を亡くしたことで、生きていることが当たり前ではないことに気づかされ、今までの自分がうつ状態にあったことにも気づくことができました。

子どもを亡くすという、最悪の結果でしか気づけなかった私。自分の心の弱さを、改めて認識した出来事でした。

 

 

もう一度子どもを産んで、一から育てたい!

それからしばらく、平穏な日々が続き、私が子どもたちに「生きているだけでいい。」と思って接するようになってから、子どもたちものびのびと過ごすようになっていました。

夫とも、前よりも会話をするようになり、家庭内が明るくなっていました。

その頃、子どもたちの体内記憶について書かれた池川明先生の本を知った私は、「もう一人子どもを産んで、きちんと一から命と向きあっていきたい!」と、強く思うようになっていました。

ある日のこと、子どもたちと車で出かけた時、長男に「お母さん、もう一人子どもを産みたいと思っているけど、来てくれるかな?」と、話してみたところ、長男は「うん。女の子がやって来るよ。」と、教えてくれました。

そして、そのことを夫に話し、もう一人授かることになりました。周りの人たちは、皆、口をそろえて「もう、産まない方がいい。」と、勝手な心配をしていましたが、私の心の中には、「大丈夫。次に生まれてくる子は元気に育つから。」と、不安な気持ちはまったくありませんでした。

その思い通り、2010年8月に、長男が話してくれた通り、笑顔の可愛い女の子が元気に生まれてきました!

 

次回は、「まさか私が離婚するなんて!」を書こうと思います。お楽しみに~

 

 

 

この記事を書いた人

らーま

占い鑑定師
四柱推命やタロット占い、手相占いを中心に他の占いも組み合わせた鑑定を行なっています。

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