自分の居場所って
自分の居場所って
神霊師さんとの出会い
私が高校2年生の時だったと思います。
母親に、「近所に神霊師として活動している人がいるから、その人に将来を相談してみなさい。」
と言われ、興味があったので会いに行きました。
その人は女性で、私が玄関に入ると、女性は私のことをじーっと見ていました。部活の帰りで、高校の制服のまま行ったので、服装を何かしら言われるのかと思いましたが、そうでもなく。
その後、部屋へ通され話をしました。
私は当時、警察官になろうと決めていたので、そのことを話すと、女性は、
「あなたが玄関から入ってきたとき、警察官の制服を着ている姿が見えました。だから、大丈夫です。」
と言われました。
当時の警察官の競争倍率は20倍。なれるかどうか不安でいた私ですが、女性にそう言われたから大丈夫だと思い、勉強に励みました。
そして女性の言う通り、私は警察官になりました。随分後になって女性から聞いた話ですが、母親は私が警察官にはなってほしくはなかったそうで、それもあって私を女性に会わせたそうです。
でも女性には、私が警察官の制服を着ている姿が見えたので、母親の気持ちは置いておいて、私の背中を押したそう。
その土地に呼ばれているからまた戻ってきますよ
30歳で結婚し、長男がお腹にいたとき、私の親と同居することになりました。
私は、親のことがあまり好きではなかったので、正直嫌でしたが、夫が同居を望んだので渋々同居することになりました。
その後、長男長女が生まれ、その頃までは仲良く暮らしていました。
しかし、次男を授かったころ、母親と夫がケンカすることがあり、そこから賃貸マンションへ引っ越すことになりました。
その事を、女性に相談していました。女性は、
「あなたは辰巳町に縁があるから、呼ばれていずれ戻りますよ。」
と言われました。
でも、当時その言葉は私の心には届いていませんでした。
しばらくして次男を出産する前、自宅へ戻っていましたが、とても居心地が悪く、私は産後すぐにマンションへ帰ろうと思っていました。
その頃の私は、今思うと鬱状態でした。何もかもが嫌になり、マンションへ戻ったら子どもを連れて死のうと思っていました。
それをなぜか夫と母親に察知されたのか、病院を退院後、一か月健診までは実家へ留まることになりました。でも、私の心はずっと沈んだまま。「早く死にたい」としか思っていませんでした。
そんな思いでいたからか、次男の世話が苦痛にしか感じていませんでした。やることなすことすべてが嫌。可愛いとも思えませんでした。
一ケ月健診が二日後だった日。次男が風邪を引いていると思いましたが、健診の時診せればいいと思い、そのまま寝かしていました。気が付くと、次男は顔が真っ青になり呼吸をしていませんでした。
急いで救急車を呼び、病院へ。
「自分が死のうと思っていたのに、次男だけが死んでしまうなんて。」
私の中で、時が止まりました。
私の居場所でした
一旦息を吹き返した次男でしたが、二日後の4月8日。生後一ケ月で空へと帰っていきました。
次男の葬儀を終え、夫と母親が和解をして実家へ戻ることになりました。私は次男に、生きることを託されたのだと思います。だから、今は毎日を楽しく自分らしく生きようと、そう思って生きています。
そして、やはり呼ばれていたのでしょう。辰巳町へ戻ってきた今、私の心の居場所となっています。最近は、ニワトリを飼ったことで涼しい場所での二拠点生活を考えており、そこでの新たな居場所づくりをしていこうと思っています。
その土地にも呼ばれているのかな。感じるままに動きたいと思います。
今は「風の時代」。感性を大切に、軽やかに、もっともっと感じるままに生きていきたいですね。
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